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      <title>遠山昌夫 心のページ</title>
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      <language>ja</language>
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            <item>
         <title>聞き手：第５２青経塾 塾長 遠島正久</title>
         <description><![CDATA[<strong>遠山塾主インタビュー　心のページ</strong>

<strong>第５２青経塾 塾長　遠島正久</strong>

<strong>「共有と継承」</strong>

遠島：青経塾では、経営理念の確立を目指していますが、その理念を社員さん
と共有し、次世代に継承していくということについてお話を伺えますでしょうか。
塾主：共有について考えるに当たって、何を共有するのかが重要です。例えば物やお金は分配できるので、しっかりと共有できます。しかし精神や想いについては共有できそうで、実は大変に難しい。精神を共有している状態の例として最もわかりやすいのは、宗教ですね。

 <img alt="0725-0007.JPG" src="http://www.kaerunet2005.com/kokoro/0725-0007.JPG" width="389" height="259" />

遠島：経営理念は、思い・精神の共有にあたりますね。
塾主：創業者で「理念は持っていない」という人がいますが、しっかりとした言葉で表されていないだけで必ず持っています。二代目ならば先代に聞くべきです。それを自分自身理解し、自分の言葉で表現できなければ、伝えることができません。会社は、一緒に働いてくれる人たちと同じ方向を向いて行かなくてはなりません。いくら社長に想いがあっても、自分で想っているだけでは伝わらない。だから経営理念は、誰でも理解できるようにわかりやすい言葉で表現すべきです。

<img alt="0725-0003.JPG" src="http://www.kaerunet2005.com/kokoro/0725-0003.JPG" width="431" height="287" />

遠島：継承についてはどうでしょうか？
塾主：初代と二代目とでは、同じ経営理念でもやり方が違います。リーダーが変わることによって、何に重きを置くか、どうバランスを取るかが違ってくるのです。時代によって社会は変化しています。当然、会社が変化することも必要です。現経営者は、次の世代に何を残すべきかをしっかりと伝えなければいけません。継承するに当たって大事なのは、スクラップ＆ビルド、どこを壊し、どこを再構築していくかですが、受け継ぐべきものを明確にしておくことも忘れてはいけません。

共有、継承していく際に、理念だけでは漠然としています。理念といってもただの言葉ですからね。今度は、わかりやすく具体的行動レベルに落とし込んでいくのです。経営理念から行動指針へ、丸太から細い針のように徐々に削り出していくわけです。具体的な行動を示したら習慣化させていかなければなりません。例えば、毎朝朝礼で繰返し繰返し行動アピールと行動指針を全員で唱和する、などということが大事なんです。若い女性社員からベテラン社員までが参加するこの毎日の繰返しが、同じ方向を向く為の仕掛けなのです。継承する為には継承できる環境を作らなくてはいけません。

  <img alt="0725-0005.JPG" src="http://www.kaerunet2005.com/kokoro/0725-0005.JPG" width="500" height="333" />

遠島：塾主の手帳を見させていただきました。社是に始まり、経営方針、中期目標、行動アピール、行動指針と、川下にいくに従い具体的に表現されていました。塾主は、今でも社員さんと共に朝礼で行動指針まで唱和しています。
その事実を目の当たりにし、共有すべき理念への塾主の想いの深さを改めて感じました。

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         <pubDate>Tue, 02 Sep 2008 10:38:09 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>聞き手：第５１青経塾 塾長 伊藤一喜</title>
         <description><![CDATA[<strong>遠山塾主インタビュー　心のページ</strong>

<strong>第５１青経塾 塾長 伊藤一喜</strong>

<strong>「約束には犠牲を伴う」</strong>
　
「約束は犠牲を伴う」という言葉に対し、塾主のお考えをお教えくださいという質問に、塾主の最初のお言葉は、「みんな約束を軽く考えている」というお話でした。

<img alt="001.jpg" src="http://www.kaerunet2005.com/kokoro/001.jpg" width="350" height="264" />

塾主：約束も様々あり、会社でいうなら経営計画の発表は、社員や株主など会社に関わる全ての人との約束であり、内閣総理大臣で言うなら公約は、国民との約束。家族との約束も全く同じである。この約束には、必ず守らなくてはいけないという責任が伴う。約束のしるしとして使う印鑑の朱肉の赤は、血判の血の赤と同じことを意味し、命がけでその約束を守らねばならないことを理解していない塾生が多い。約束を守っていくためには、当然他の何らかの犠牲を伴います。そういった犠牲の上に約束があることを約束する時点で十分理解しておく必要がある。だから約束とは、重く、厳しいものなのです。

<img alt="003.jpg" src="http://www.kaerunet2005.com/kokoro/003.jpg" width="350" height="223" />

伊藤：塾で言うなら出席という約束が守られていない現状があります。

塾主：以前は名古屋時間と言う悪い習慣があり、開始時間になっても全員が揃わない、当然終了時間も守れないのが当たり前でした。私は、様々な会議の議長を努め、会議の改革をしてきました。たとえ全員揃っていなくても、定刻に会議を開始し、議事が終了しなくても定刻になれば会議を終了することを徹底してきました。なぜか。無駄な会議は相手の時間を奪うことになる。１０人いれば１０人の時間、１００人いれば１００人の時間を奪うことになります。時間とは命のことです。１日の行動を分析すると、いかに効率が悪い時間の使い方をしているかがよくわかります。１日の半分が無駄な時間とすると、人間５０年の内２５年分しか生きられないことになる。こんな風に時間・命を無駄に使っているようでは、志も達成できるはずがありません。時間をいかに計画的に使えるかがとても大切です。「計画を持たないものは、人に使われる」ということです。計画がないから、人に使われ、約束が守れない。計画的な人生であるからこそ、志の達成が出来る。
　また、一つ一つの約束を確実に守っていくことが、信頼につながり、この信頼こそが経営にとってもっとも重要であることを、再認識してほしいのです。

<img alt="002.jpg" src="http://www.kaerunet2005.com/kokoro/002.jpg" width="350" height="255" />

（お答えを受けて）
今回塾主とお話させていただく中で、私が２８塾生であったとき、須磨での敦盛を舞う約束のことが頭をよぎりました。軽々しく約束した私たちに対して、塾主の厳しいお言葉のことを今でも忘れることはできません。どんな約束であろうと、１度口にした以上、何が何でもその約束を遂行する責任があることを改めて考えさせられました。今後１つ１つの約束をしっかり守り、信頼される経営者になります。
塾主、貴重なお時間本当にありがとうございました。
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         <pubDate>Fri, 09 May 2008 17:43:57 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>聞き手：第３９青経塾 塾長 米山 利信</title>
         <description><![CDATA[<strong>遠山塾主インタビュー　心のページ</strong>

<strong>第39青経塾 塾長米山利信</strong>


米山：昨今、子供のいじめ・親やお年寄りに対する犯罪が多発する中、教育の見直しが求められています。
そこには失われつつある道徳や礼儀があり、人間社会で経営し生きる私達が、重視しなければいけないと感じています。
青経塾では、礼にはじまり礼に終わる。また行動指針に、礼儀、節度に気をつけようとあります。

今回は、礼について先生にお話をお伺いします。

塾主：親しき仲にも礼儀あり、夫婦であろうが、親子であろうが、親友であろうが、恋人であろうが、礼がなければ続かないのです。

「礼に始まり、礼に終わる」と米山さんが言いましたが、礼というのは人間関係の一番中心なのです。
礼を今風の言葉に変えると、例えば民主主義の原則は人格の尊重です。
相手の人格を認めるわけです。
この人は偉い人だとか、身分、立場、階級は関係ないです。
本当は、社長や会長でも、内閣総理大臣でも、やっぱり礼が無ければいけないのです。
それは一緒なのです。
人間は対等なのです。
身分とか富、財産、全く関係がないのです。
例えば、米山さんと僕といると、僕にないものを米山さんは持っているし、逆の場合もあります。
だから認め合っているのです。民主主義の原理原則の一番中心なのです。
相手の人格を尊重する。
だから塾では、社是作りの始めにこの話をします。

<img alt="1.jpg" src="http://www.kaerunet2005.com/kokoro/1.jpg" width="530" />

塾主：私がいつも唄う歌で100万本の薔薇という歌があります。

この歌のテーマは愛です。
バレリーナに恋をした貧しい画家が、彼女の一番好きな薔薇を贈るために、
自分のほんの少しの財産や家、キャンパスまでも売ってしまうのです。
バラの花を贈る、たったそれだけで、何も要求しないし、何の返りも期待してない、ワンウェイです。
これが本当の愛です。
礼も同じように、こっちがお辞儀したのに向こうがお辞儀しないことを問うより、ひたすらに礼を重んじて自分がやるだけ。
ほとんどの日本人の場合は、お辞儀したら向こうもお辞儀するはずです。
そういう遺伝子を持っていますし、日本には土壌があるのです。

<img alt="2.jpg" src="http://www.kaerunet2005.com/kokoro/2.jpg" width="530" />

塾主：例えば茶道も礼を教えているのです。

茶道の一番の奥にあるのは、一期一会なのです。
例えば、私が生きている、米山さんが生きている。
それはたった今のことで、二度と会えないかもしれない、いつ死ぬかわからないのです。

ですから、全身全霊を込めて、私の持てる技術で、最高にあなたのお好みのお茶をたてましょう。
相手によってお茶の濃さも違うし温度も違う、全部違う。
あなた好みのお茶をたて差しあげる。いただく方は、きちんとありがとうございましたと、全身全霊を込めて、最高のお茶をたててくれました。だから、五臓六腑、胃袋から頭から、体全身がたった一杯のお茶の為に集中するわけです。
その為に茶道があるのです。
人間として心から相手を尊敬して、認め合ってきちんと行動する。
茶道、寺子屋での教えが全ての基本になったのです。

礼は今の言葉でいうと、相手を認めて尊敬して、最低の場合でも対等につきあう。
できれば常に『あんたが一番、私が二番です』よろしくお願いしますと言うと、
いえいえ、あなたが一番ですと相手が言う心なのです。

礼の方法であるお辞儀一つでも大変な事、心がこもってないと駄目なのです。
礼は全ての始まりです、試合開始に剣道はお辞儀するでしょ、ボクシングもグラブを合わせる。
ということで、生きて行く上で一番根幹ですね、大事なことですね。
みんなは、礼の言葉の意味が解るだけで、行動していない。
礼も説明しているうちは解らない、行動し体学しないと解らないのです。

米山：礼は人間が生きるのに必要なもの、それは人間として心から相手を尊敬し認め合い行動する中で解る、先生のお言葉が心に響きました。
礼を行動にて掘り下げ、生きます。
貴重な時とお話、ありがとうございました。

<img alt="IMG_3.jpg" src="http://www.kaerunet2005.com/door/IMG_3.jpg" width="530" />

第39青経塾 塾長米山利信
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         <pubDate>Sun, 27 Jan 2008 00:48:05 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>聞き手：第５０青経塾 塾長 森岡 裕雅</title>
         <description><![CDATA[遠山塾主　心のページ　インタビュー

聞き手：

お話　遠山塾主

質問：森岡塾長
「仕事の側面　人間の側面」についてお聞かせください。

お答え：遠山塾主
私は、今まで数多くの講演を依頼されてきました。それは、他の人にはできない講演ができたからです。その理由は２つあります。ひとつは、経営理念について講演できた事です。
私が31歳の時、会社がどうあるべきか、何の為に仕事をするのかを迷いました。その時、部下を連れてお寺を借り、３，４ヶ月かけて、理念には社会性・科学性・人間性が必要である事を見出しました。
もうひとつの理由は、仕事の側面　人間の側面について講演できた事です。

<img alt="1.jpg" src="http://www.kaerunet2005.com/kokoro/1.jpg" width="350" height="233" />

経営者の仕事とは何かと考える時、仕事の側面　人間の側面から考える必要があります。言い方を変えれば、社外に対してと社内に対して考える必要があるという事です。
仕事の側面とは、社会に対し高い価値の物を安価に供給する事です。価値の無い物を売っても誰も買いません。高い価値の物を安く売ることが出来れば、社会全体から必要とされます。その為には、維持管理と構造改革が必要です。維持管理は、同じ事を当たり前にやり続ける事です。構造改革は、今まで行ってきた事を否定する事から発展を試みる事です。事務をしている人にも構造改革に参加してもらう必要があります。維持管理をしているだけでは衰退してしまうからです。しかし、経営者は他の人とは、構造改革に対し、心構えとかける時間を変えないといけません。つらいものですが、自分が先頭を走り続け、風を作ってゆく必要があります。挑戦しないといけません。そして、構造改革を進めるためには、失敗を奨励する会社にならないといけません。７割の失敗、３割の成功で十分です。多くの経営者は、構造改革は、コストダウンであると考えるようですが、コストダウンには限界がありますし、コストダウンが進むという事は、価値が無くなってきているという面もあります。ですから、構造改革は、本質的な画期的な改革であるべきです。

<img alt="2.jpg" src="http://www.kaerunet2005.com/kokoro/2.jpg" width="350" height="233" />

人間の側面とは、働き甲斐のある職場を作り、皆が能力を高めあえる環境を作るという事です。本来、職場は人間の能力を一番高める場所なのです。学校と言っても良いかもしれません。その為には、働く人がこの会社に入って良かった。一生この会社で全身全霊を尽くしたい。と感じてもらう会社にする必要があります。
これが、経営者の仕事なのです。

<img alt="3.jpg" src="http://www.kaerunet2005.com/kokoro/3.jpg" width="350" height="294" />

お答えを受けて
今回、インタビューさせて頂いた際に驚いた事は、塾主が仕事の側面　人間の側面についてレポート用紙２０枚にもわたってまとめられていた事です。色々な時間・場所で書かれたそうで、綴じられたレポート用紙は何種類もありました。塾主のお話では、それでも今残っているのは３分の１で、３分の２は時代が変わったから捨ててしまったとの事。そこに経営者としての仕事に対する心構え、覚悟を感じさせていただきました。貴重なお話、本当にありがとうございました。

第５０青経塾 塾長 森岡 裕雅]]></description>
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         <pubDate>Thu, 06 Sep 2007 00:05:53 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>聞き手： 第４９青経塾　塾長　田中　功二</title>
         <description><![CDATA[お話　遠山塾主

質問　田中塾長
「真夜中の墓場に一人立ったことがあるか」について教えていただけますか。

お答え　遠山塾主
経営には行き詰まりがあり、トップはいつも孤独です。勝ち抜いていこうとすると戦っていかねばなりません。結果が見えないことに挑戦していく、つまり命を懸けないといけないということなのです。ですから、私の人生はいつ死んでもいいように生きてきました。３４歳から事業で海外へ出る機会が増えたため、その都度会社や家族へ遺書を書いてきたのです。会社へは人事・組織について、家族へはお金のことです。当時から億単位の掛け捨ての生命保険に入ってきました。皆さんみたいに定期預金をする余裕など全くなかったのです。つまりこれが責任というものなのですね。だから海外へ飛び出していけるのです。

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夜中に一人で墓場に立つということは、誰でも怖いものです。しかしそんなものに負けてはなりません。古くて暗く寒い墓場で、死と向かい合うという死生観ですね。

質問　田中塾長
それは己を奮い立たせようとすることなのでしょうか？

お答え　遠山塾主
奮い立たせるというよりも、鏡のようにクールに気持ちが静まっていきます。様々なことを冷静になって考えることができる。そういう環境が真夜中の墓場にはあります。錦三丁目ではできませんよね（笑）。
例えば空海のように断崖絶壁の崖に一人で立ち、無になって己を試す。そういう経験によって自ずと超人的になっていきます。本人は毎回同じ場所に立っていても、成長していくから考え方が変わってきます。ですから最初に悩んでいたことも、つまらなく思えて超越していけるのです。

<img alt="%E5%BF%83%E3%81%AE%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8%E2%91%A1.JPG" src="http://www.kaerunet2005.com/kokoro/%E5%BF%83%E3%81%AE%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8%E2%91%A1.JPG" width="288" height="384" />

自分と向き合える修業の場所はどこでもあります。禊もいいのですが、そんな特別な場所でなくてもできるのです。例えば体力をとってみても、私は週一回ゴルフをしている人に必ず勝てます。というのは車を使わず毎日通勤で歩いていますから。これも自分と向き合っている訳ですね。
お答えを受けて
経営者は孤独だとよく言いますが、今の私たちは本当にそうでしょうか。寂しいから何かに頼ろうとしたり答えを求めようとしたり諦めたり、あるいは逃げようと思ったりそんなことの繰り返しを行なっているのではないか、と思います。経営が上手くいくのも、生活が安定するのも常に自分自身の行いによるものではないでしょうか。それを、創るのも決めるのも自分自身です。志を高く掲げて、そして当たり前のように押し寄せる苦しみ、難題、嫉妬、死生観までをも考え乗り越える経験こそが、成功への第一歩だと思います。人間として男として父親として経営者として、天から与えられた命、そして自らが決めた人生、他人を頼らず自らを頼りに幸運を信じて壁を乗り越え続ける道こそが孤独になることではないでしょうか。そんな時に真夜中の墓場に一人立てる人こそ、真の経営を創造する経営者だと確信いたしました。最後に人生は死ぬまで学問の道、経営者は常に孤独でなければいけないと実感いたしました。遠山塾主、本当に貴重なお時間をいただきまして有難うございました。
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         <pubDate>Wed, 20 Jun 2007 22:41:47 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>聞き手： 第４８青経塾　塾長　加藤　淳一</title>
         <description><![CDATA[お話　遠山塾主

質問　　加藤塾長
　先生のお言葉の「勝ってから泣け」についてお聞かせください。

お答え 遠山塾主　
　野球などのスポーツに例えると解りやすいのですが、日本一になろうと思ったら、日本一の厳しい練習をするのです。世界一になるなら世界一厳しい練習をするのです。強く目標を持っている人は困難なことがあっても諦めません。目標に向かって堂々と進んでいく、苦しいけれど進んでいく。だからこそ、勝ち取った勝利の涙が美しいのです。多くの人間は自分に甘えて妥協してしまいます。そして何かの責任にしてしまいます。反省も結構な事ですが、反省とは後ろ向きの考えなのです。
<img alt="070402-3-1.jpg" src="http://www.kaerunet2005.com/kokoro/070402-3-1.jpg" width="340" height="265" />
	
　私の友人に元東邦高校、現大垣日大高校の坂口監督がいます。彼は大垣日大高校に就任して僅か２年で甲子園出場を果たしました。勝つ為には勝つ条件を作らなければなりません。まずグランドを徹底的に整備をしました。それから選手との人間関係を作るために一緒に温泉に行きました。また甲子園常連高との選手のレベルの違いを埋める為、練習では褒めたおして育てました。そして、ノックは腕が上がらなくなるまでやりました。結果が甲子園出場です。
経営でもスポーツでも負けて泣いては意味が無いのです。苦労して掴む勝利こそが喜びを躍動させます。しかし実際は負けることが多いのです。あのイチローでも１０回中６回は負けます。私も同じで８割は負けです。それだけ勝つことは難しいことです。それだけに「勝ってから泣け」は最高の喜びの状態なのです。
<img alt="070402-3-2.jpg" src="http://www.kaerunet2005.com/kokoro/070402-3-2.jpg" width="340" height="233" />

　勝つ為には「毎日小さな目標を実行していく事」です。毎日掃除をするでもいいですし、毎日挨拶するでもよいのです。私の場合朝５時に起きて孫と庭の掃除や運動をしています。前日いくら遅く帰ってきても必ずやります。人間だから辞めたいと思う事もありますが、１度決めたら何が何でもやる。これが勝利を掴むために大事なことなのです。
<img alt="070402-3-3.jpg" src="http://www.kaerunet2005.com/kokoro/070402-3-3.jpg" width="340" height="257" />

お答えを受けて
　本日はお忙しい中お時間をいただき誠にありがとうございました。
教本「心」を作る時に、始めに書いていただいた「勝ってから泣け」という言葉が一番好きな言葉です。
塾生には、強い目標を持つ事、諦めずに挑戦し続ける事、力を出し切り勝った者だけが流す涙の素晴らしさを伝えていきます。
]]></description>
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         <pubDate>Mon, 02 Apr 2007 11:42:14 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>聞き手： 第４７青経塾　塾長　後藤 峰男</title>
         <description><![CDATA[お話　遠山塾主 

質問　後藤塾長
先生のお言葉の「世の中は全て必然」について教えてください。


お答え 遠山塾主　
私は世の中の出来事は全て必然に起こると思っています。
例えば目に見えるものなら解りやすい。道路を歩いていて水が頭にかかった。その時は建物の上に住んでいる人が、水を外に捨てたのです。下を歩いている人から見れば偶然に感じますが、実は世の中は全て必然で成り立っています。
目には見えない頭の中で考えている事は解りにくいですが、こちらも全て必然で起きています。
例えば長い期間イジメにあっていた。そこにある現象が起きた。そして突発的に対抗した。
周りの人から見れば突然起きた偶然のように思えますが、人の心の中にそれぞれの段階があり、必然として現象が現れてきます。

例えば、戦争も偶然に起きているのではありません。それぞれの民族の歴史や宗教、過去の戦争などの要因があります。一方戦争をして発展をしてきた軍需産業もあります。さまざまな思惑があり戦争も避けられるものではなく必然として起きています。
他の例を出せばスイスです。スイスは永世中立国です。それは偶然出来ているのではありません。各家庭に武器をくばり強い軍事力保持しているから成り立っています。スイス銀行に世界の資産が集まるのも偶然ではなく必然なのです。
<img src="img/0283_01.jpg" width="300">

このように世の中は全て必然から成り立っています。塾生が経営者になったのも、青経塾に入ったのも全て必然なのです。病気になるのも、困難な事が起きるのも全て必然です。
必然は変えられないものではありません。自らの行動したことが結果として現れます。それが必然です。
例えば人と人との繋がりには無駄がありません。常に相手の為に行動する事が、自分に返ってきます。
行動が必然を生むのです。

お答えを受けて
お忙しい中お時間をいただき誠にありがとうございました。
偶然に起きていると感じる現象も細かくたどれば原因があり、全て必然に起きている。人間関係にも必然があり相手の為の行動が人間関係を深めていくとお教えいただきました。
人と人との繋がりを大切にしてこれからも挑戦していきます。遠山先生、ご教示ありがとうございました。
<img src="img/0283_02.jpg" width="300">
]]></description>
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         <pubDate>Fri, 09 Mar 2007 13:46:52 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>聞き手： 第４６青経塾　塾長　田口 実</title>
         <description><![CDATA[<strong>お話　遠山塾主</strong> 

<strong>質問　田口塾長</strong>
今回は先生のお言葉より「合理性の中で人は育たない」についてお教え戴けますか。


<strong>お答え 遠山塾主</strong>　
たとえばベルトコンベアを例に取りましょう。ベルトコンベアは、物を持ったり運んだりする中で「重い」と思う感情＝不合理性から生まれました。車や台車なども全て同じ思いから生まれ、更に人を快適に運んだり、少しでも沢山売れるように発達してきました。
この様に不合理から技術や物が生まれ、人々の暮らしは快適になりました。しかしそれは進歩であると共に退化でもあります。
自らの足で歩いての移動から、乗り物で移動するようになるにつれ、人々の生活が変わりました。人々は歩くスピードでものを見て、季節を感じ、美しい花を見て心を豊かにしてきたはずですが、現代ではそれも無くなりました。またカーナビなどの使用で土地勘も失われつつあります。
<img src="img/0265_01.jpg" width="350" height="246">

このような暮らしの中で、人々は自ら何かを生み出す力を失いつつあります。今「学ぶ」ということは、誰かの知識を受け入れたり、読んだり聞いたりのみで、自分で考えることが減っています。
「働く」ことも快適なオフィスの中です。はたしてこのような環境で更に何かに気付き、進歩することが出来るでしょうか。人々は想像以上のスピードで、昔当たり前だったことができなくなってきています。あふれる物の中で「物のありがたさ」も失いました。たとえば、子供の洋服なら兄が着られなくなったら弟に、そして次は近所の誰かにと、使える物を使い続けるという、当たり前の事ができなくなりました。
そして、日本人は「食べ物のありがたさ」も失いつつあります。それは今日本人の食べ残しが、人口２千万人の香港全ての食料に匹敵するほどであることから明らかです。これは明らかに無駄であり、退化なのです。

<strong>質問　田口塾長</strong>このような世の中で、我々にどういった心の持ちようが必要なのでしょうか。

<strong>お答え 遠山塾主</strong>
我々は、今の生活の中で当たり前だと思われている物にも、それが本当に当たり前なのかと、常に問いかける心が必要です。
今ある物が全て当たり前だと思うような規格化された人にはなってはいけません。
青経塾では、皆がそれに気付く機会を持っていると思います。たとえば苦労して山に登ったり、長距離を歩いたり、不合理を感じる機会が多くあり、そこから友情や感動が生み出されることからもわかるはずです。

<strong>お答えを受けて　田口塾長</strong>
本日はお忙しい中、貴重なお時間を頂きまして、誠にありがとうございました。
「心」の言葉について、直接お話を伺い出来て非常に理解が深まりました。
合理性の世の中で、あたり前という価値観は物事を 見誤る第一歩と考えます。
大事なのは、自身の意と感性ということを、本日のお話から感じました。
感性を研ぎ澄ますか如く、日々 精進してまいります。本日は有難うございました。

<strong>最後に 遠山塾主</strong>
言葉の解釈は難しく、また人それぞれです。しかしそれで良いと思っています。
同じ言葉でも置かれた環境によって感じ方や説明の仕方は変わります。同じく悩む人に助言をするにも、その言い方はその人に合わせたものになるのと同じです。厳しく言うときもありますし、優しく言うときもあります。しかし最後には愛が無ければいけません。
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         <pubDate>Wed, 10 Jan 2007 11:09:31 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>聞き手： 第４５青経塾　塾長　廣瀬直樹</title>
         <description><![CDATA[<strong>お話　遠山塾主</strong> 

<strong>質問　廣瀬塾長</strong>
先生のお言葉で「人生は挑戦なり」とありますが、どのようなエネルギーの使い方をしたらよろしいでしょうか？


<strong>お答え 遠山塾主</strong>　
挑戦というのは何に挑戦をするのかが重要なのです。挑戦の前に目標・目的や志があります。まずは目標目的を明確に持つことが大切なのです。
例えば「創業10年で売上高10億円」のように、大雑把に強引に言ってよいのです。自信など無くても構いません。言い切ってしまう事が大切なのです。


私は「狂（キョウ）」という言葉が大好きです。「狂」は「くるう」ではありません。「おかしなぐらい一生懸命やる事」それが「狂（キョウ）」です。
目標ができたら、毎日寝ても覚めても思い続けること。例えばジョギングしながら「10億、10億」と言いながら走る。何が何でもやるぞと想う。その繰り返しが、エネルギーを生み出すのです。


最近の塾生を見ていると「コンチクショウ」と思う気持ちが不足しているように感じます。と言うのも、世の中が平和であると勘違いをしている人が多いのです。豊かな時代になってきたのかハングリー精神が足りないと感じます。
経営者は絶えず「コンチクショウ」、「あいつに負けるものか」という気持ちをもっていなければいけません。

だから青経塾が必要なのです。卒業までの３年間で目に見えて変わってくる人がいます。売上を伸ばす人と、売上を落とす人。塾の中で、「あいつに負けたくない」という気持ちが生まれてきます。そしてそれがエネルギーになっていくのです。
例えば横山副塾頭は200億の売上です。これを知った私は、「私も塾主だ、こりゃ負けとれん」と思うのです。これでいいのです。悔しいと思うことが大切なのです。
「悔しい」、「しゃくに障る」、「今に見ていろ」、そんな気持ちを持ち続け、挑戦することが社業を発展させるのです。


<strong>お答えを受けて</strong>
この度はお忙しい中、貴重なお時間を頂きまして、誠にありがとうございました。
挑戦には目標に対する情熱と、なにが何でもやりぬく強靭な精神力が、必要と感じました。
また強靭な精神力には、悔しいという気持ちが大切という事が解りました。
今回お伺いさせていただきました想いを塾生に伝えていきます。
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         <pubDate>Fri, 01 Dec 2006 10:29:21 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>聞き手： 第４３青経塾　塾長　梅村智朗</title>
         <description><![CDATA[<strong>お話　遠山塾主 
聞き手： 第４３青経塾　塾長　梅村智朗</strong>

<strong>質問　梅村塾長</strong>
青経塾では講師の方などをお見送りする際に、相手が見えなくなるまで手を振り、一礼をしてお見送りします。遠山塾主は新幹線のホームで大切なお客様をお見送りする際、相手の方が見えなくなるまでお手を振り続けられたというエピソードを伺っておりますが、塾主の想いについてお聞かせ下さい。

<strong>お答え 遠山塾主</strong>　
人には、「出会い」があれば必ず「別れ」があります。本当の「別れ」は死ぬということです。「出会い」より「別れ」のほうが大事なことなのです。今日が最期で二度会えなくなるかもしれません。「感動の出会いと美しい別れ」という言葉がありますが、これが一期一会ということなのです。人との繋がり、心の交流を大切にする。いま逢っているこの瞬間、二度とは無いこの瞬間を大切にするということなのです。

それは日本の茶道の中にも見られます。私も時折お茶をいただく機会がありますが、特別な作法よりもその中にある礼儀を守っています。全身全霊を注いで、あなた好みのお茶をお出ししておもてなしをし、受ける側も味覚だけでなく体全体でいただく、これが茶道であり礼儀であります。

今が最期の時かもしれないという気持ちがあれば、いつでもどんな場所でも手を振ってお送りしたいのです。人がどう思っても関係ありません。その行為を恥ずかしいと感じる人もいますが、私たちは恥ずかしがるほど偉くはありません。まわりの目が気になって行動ができなければ、相手に想いは伝わりません。恥ずかしがらず勇気を持って一所懸命に行動する姿に人は感動するのです。

<strong>お答えを受けて</strong>
一期一会の精神を大切にすることは、経営においてなくてはならないものであり、遠山塾主はそのことに信念を持って行動し、知行合一を私たちに伝えようとしてくださっていると改めて感じさせて頂きました。
遠山先生本当にありがとうございました。
<img src="img/0257_01.jpg">]]></description>
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         <pubDate>Wed, 15 Nov 2006 01:17:54 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>聞き手： 第３６青経塾　高橋弘茂</title>
         <description><![CDATA[<strong>お話　遠山塾主 
聞き手： 第３６青経塾　高橋弘茂 </strong>

<strong>質問　高橋弘茂</strong>
武士道にある「礼」、とりわけ恥を知るということについてお聞かせください。

<strong>質問の背景</strong>
塾主は善の価値を大切にされます。それが企業のコンプライアンスを徹底させ企業価値が高くなる真因だと思います。 武士道の中に恥を知ることの大切さが問われています。遠山塾主は名に恥じない生き方をされておられます。塾主の初志を貫徹される姿は正に武士道。その根源を拝聴させていただきました。

<strong>お答え 遠山塾主</strong>　
武士道でもっとも大切なもの、それは「義」です。仁義、礼儀、信義、正義、忠義と大切な言葉の多くに使われております。義に背くことは恥です。武士たるもの、恥は切腹です。ですから義に背くことは不名誉な死を意味するのです。 
武士道～義～は、神道が起源です。日本では自然がすべて神様で、八百万の神様が存在します。その後、大陸から仏教が入ってきました。それにより人々は「死」を受け入れました。そうして義をもって死を恐れない最強の人々が誕生したわけです。また、この融合は神社の中にお寺があるという神仏共存の不思議な国を作り出したのです。
正義を貫くことは、実は儲からないのです。安ければ売れますが、手抜きが増えます。やるからには徹底的にやるのです。正義へ挑戦し続けるのです。それで会社がつぶれてもいい、という覚悟で経営する。社会のためにならないことは、いくら儲かっても絶対にやらないのです。
経営はお金だけではありません。時代は必ず変わります。拝金主義は崩壊し、武士道回帰が近い将来必ず起こるのです。
青経塾で義のわかる人を育てたいのです。信念の動じない、誇りある経営者であってほしいものです。
<img src="img/0251_01.jpg" width="500" height="335">]]></description>
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         <pubDate>Fri, 06 Oct 2006 15:43:28 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>聞き手：第３８青経塾　塾長　近藤　匡朗</title>
         <description><![CDATA[お話　遠山塾主 


<strong>質問　近藤塾長</strong>
塾主より幾多の教えを頂き、私の頭の中で考えが必ず帰結するのは、「死生観」です。
是非、塾主の死生観についてお話を頂きたくお願い致します。

<strong>お答え</strong>
死ぬことと生きることは表裏一体、五分五分であるということです。人は常に死と生の間に存在しているのです。今の人はこの時代が平和であるから、急に死に直面することはないだろうと思っていますが、それはアメリカの力で６０年間戦争が身近に無いために、そう錯覚しているだけであり、実際はいつ死んでも不思議では無いのです。
１０年ほど前、本を書くために刑務所を訪問した時のことです。死刑囚は死ぬ覚悟がすでにできているので、今、この瞬間を生きることに実感を持ち、目が爛々と輝いていました。逆に無期懲役の人は希望の持てない暗い顔をしていました。人は死を理解すると何をしたらいいか一生懸命になり目的ができます。
そのように生きることに輝いていると、木や花なども五感で感じ、より輝いて見えるようになるのです。最近は若者の殺人事件が頻繁ですが、それは自分も死ぬということをわかっていないので、他人を安易に殺してしまうのでしょう。
皆さんも生と死があることを確認できれば、命をどう使うか工程ができると思います。そして家族、会社、友人に対しても責任を感じるようになるので死ぬ前にどう模植していくべきか考えるはずです。志は命の使い方のスケジュールなのです。スケジュールができれば成長のスピードも増すことでしょう。また、あらゆる物事に対しても感謝をするようになると思います。

<strong>お答えを受けて</strong>
我々は、まだまだ、命の使い方のスケジュールが完成しておりません。改めてその必要性を感じました。
この少ない紙面では、書き足りない、又、文章にすると、安っぽく感じられてしまう感を強く感じました。　事在る事に、直接、塾生の皆にも伝えていきたいと思います。遠山先生、ありがとうございました。]]></description>
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         <pubDate>Fri, 25 Aug 2006 10:37:46 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>聞き手：第３７青経塾　塾長　松山　信男</title>
         <description><![CDATA[お話　遠山塾主


<strong>質問　松山塾長 </strong>
遠山先生のお話の中で「愛」についてよくお聞き致します。経営者として、人間としての「人間愛」についてお聞きしたいのですが・・・

<strong>お答え　遠山塾主</strong>
人間は自然の法則に基づいて生きています。この書にある『蝶無心尋花』とは、「花が咲くと蝶は無心に花を尋ねる」ということ。これは自然の法則です。
父と母がいて、子が生まれる。これが、生き物としての自然の法則なのです。そして、我々、人間の集団の中では、していい事としてはいけない事があり、その思いが昇華すると「愛」に変わるのです。
一番大切なのは「人間愛」。経営の神髄・根底にあるのは「愛」なのです。もちろん大切なものは「愛」ばかりではありません。経営ですから、損得もあるのは当然です。しかし、「お金」は経営の一つの要素にしかすぎません。
人間の集団だからこそ、経営についてお話するとき、「物」や「金」より「人」が優先するのです。それが私の長所でもあり、短所でもあるのです。経営とは人間の集団だからこそ「物」より「金」より「人」が優先なのです。
日本は文化歴史が代々受け継がれ続いてきたから今があります。いつの時代においても根底に流れている不変なものは「愛」。この「愛」を忘れたときに歴史も経営も全て崩壊するのです。


<strong>質問　松山塾長</strong> 
「人間愛」＝「教育」なのでしょうか？
吉田松陰は次世代に続く人を育てました。先生の教育も同じように思いますがいかがでしょう？ 

<strong>お答え　遠山塾主</strong>
人間愛」の表現として「金」を残す人もいます。教育とはその人を変えていくこと、すなわち、その人が死ぬまで残る財産となるものです。
吉田松陰が命を落としたのは、正直過ぎたからです。私はまず、自分が生き残る知恵も必要と考えますから、吉田松陰と全く同じとは言えません。
現在、世界において多くの人々から「侍」がなぜ尊敬されているのか？それは、弱い物と勝負をするような卑怯者ではないからです。私もそうです。卑怯な事はしません。しかし、そのような生き方は、損か徳かと考えたら損にあたいすることかもしれません。 
人は尊敬する気持ちが次第に「愛」に変わります。だから皆、心を磨かなくてはいけません。そして、それを体で示すことです。瞬間を精一杯生きれば、１０年後の姿が見えます。塾生に体を張ってみせることが、私の考える「教育」なのです。 

<strong>お言葉を受けて</strong>
商売をするには様々な環境を整えることも大切ですが、最も重要なことはまず、自らの心を磨き心の環境を整えること。
そして、尊敬しあうことから始まる「人間愛」を次世代へ伝え続けなければならない。遠山塾主の言われる「人間愛」とは、一人一人の心の在り方が最も重要であると改めて学ばせて頂きました。遠山塾主ありがとうございました。
<img src="img/0213_1.jpg">]]></description>
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         <pubDate>Tue, 25 Jul 2006 10:19:22 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>聞き手：４２青経塾　塾長　中尾晋一郎</title>
         <description><![CDATA[お話　遠山塾主

<strong>質問</strong> 
「教本こころの30ページに『変化できない事を恐れよ』とありますが、塾生も含め、多くの経営者が危機感を持っていないと感じることがあります。何故変化をしなければならないのかを具体的にお聞かせ願いたいのですが」

<strong>お答え　遠山塾主</strong>
世の中には、「変えていけないもの」、「変わらなければいけないもの」の2つがあります。
「変えていけないもの」は、自然の法則や哲学という基本的なことです。例えば、フロンガス使用のように地球の環境を変えてしまうことはやってはいけない。このように、地球や人の為にならないことはやってはいけないのです。これは古代からずっと変わりありません。
「変わらねばいけないもの」は、科学・文化・技術等です。それにしたがって会社の方針や生き方は変化しなければいけません。変化できなければ死んでしまいます。
つまり、自分が変わらなければ会社も変わりません。会社が潰れてしまいます。変化は絶対必要なことです。しかし、多くの人がなぜ「変われないのか？」。それは理念･信念がないからです。理念･信念がなければ会社の方針や生き方もブレてしまいます。だから怖いのです。それさえしっかり持っていれば、何が変わっても問題はないのです。そして周りの変化に伴って、素早く自分自身も変化することです。
ダーウィンの「種の起源」に次のような言葉があります。『最も強いものが生き残るのではない。最も賢いものが生き残るのでもない。生き残るのは、最も変化できるものである』とあります。変化し続けることのできるものこそ、生き残ることができるのです。青経塾は変化をするためのきっかけを掴んだり、気付きを得たりする場でもあります。そして学んだことや気付いたことを必ず実践をしなければなりません。 

<strong>お答えを受けて</strong>
改めて変化することの大切さを痛感しました。そして早い時期にアスベスト処理技術の開発等、遠山塾主ご自身が常に変化に対応されているということを感じます。我々はそういう塾主の姿を見て、大いに勇気をいただいております。自ら変わり続け、挑戦し続けてまいります。ありがとうございました。
<img src="img/0192_1.jpg">]]></description>
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         <pubDate>Wed, 10 May 2006 10:13:42 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>聞き手：４０塾　塾長　田中和生</title>
         <description><![CDATA[<strong>お話　遠山塾主</strong>

<strong>質問</strong> 
「塾主が何度も触れられているライブドアがあのような顛末をむかえました。それまで塾生は心とお金という二律に悩んでいたのが現実でした。 僅かですが経営において人間的成長が礎となることすなわち青経塾に”自分”が存在する意味を理解し始めようとしています。ここであらためてなぜ青経塾が3年なのかをお聞かせいただけますか？」


<strong>お答え　遠山塾主</strong>
「青経塾には理念があり、他団体とちがい目的があります。ここは手法を学ぶ場所ではありません。自分の命の使い道を明確にする場所なのです。道は沢山ありますが自分の道は自分でしか見つけられません。所詮、ひとりはひとりの力でしかありません。 青経塾は３年という月日をかけて、自分ひとりではなしえないことを行うのです。人は人でしか磨かれません。同じ志を持った者同士が３年間、互いを見詰め合い行動する中で喜び、苦しみ、悩み貫くのです。そして、その時間の中で新しい光を探し出せるのです。その探し出す姿こそが自らの成長の羅針盤です。青経塾そのものが自分のことになるにはやはり、３年の月日を要します。むしろその時間の重要さやその間に得たものの大切さに後に気づく塾生も沢山いるでしょうね」 



<strong>お答えを受けて</strong>
青経塾はまさしく遠山塾主そのものです。しかし、遠山塾主は青経塾をひとつの対象として捉え話されていました。塾生を思う塾主の姿には青経塾3年間の意味と価値を伝え続けるという強い志を感じました。 青経塾＝自身を見つめること 私にとっては青経塾で勉強させていただけることが感謝であり喜びです。また、私の下に集ってくれた多くの塾生たちも、同様の気持ちを感じてくれることを切に祈っています。 

不断の人間的向上を伝承する道を今後も歩み続けます。
]]></description>
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         <pubDate>Fri, 10 Mar 2006 11:35:43 +0900</pubDate>
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