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物作り40年
時代が大きく変わろうとしています。何が正しく、何をすれば社会貢献と言うのかすら解らなくなっています。
海外を初めとするマネーゲームの有り方。それは2年前、ライブドア、村上ファンドの物体無き商売で誰もが驚き、また、私の様な物作りで生きて来た人間にとっては、商いがこれで成り立ったつのか、そしてマネーゲームが人を作り、日本国を作るのかと、やるせない気持ちになった事がついこの間の様に感じます。
政府を初め、国会そして企業までがモラルを落とし、人間尊重とは名ばかり、この国の将来すら心配になります。
私は社会に出て物作り一本で来ました。大学2年の時に創業し、10年後会社として設立、今年で40年になります。その間、ドルショック、第一次オイルショック、第二次オイルショックそして政治が変わり日本列島改造論と命をうち、挙句の果てはバブル崩壊、節目節目で必ずと言える程、我が社は成長し強くなって行った様に思います。
専用機製作は、お客様のお役に立てる最高の仕事であるとも感じました。次々とオンリーワンの機械を世に送り出し、お客様からは大変喜ばれもしました。いつしか、お客様の要求された機械は絶対失敗は許されないものへと変わって行きました。そして、開発的要素を持ちながらも、成功して当たり前、失敗したら二度と浮かばれない様な方向へと進み、10分のものは8分に、8分のものは5分にと、タクトに挑戦し、よりスピードのある形で品質と価格に挑戦し加工・組立・検査の機械を作り続けて来ました。
工作機械では、フランスを始めとする海外に出したボアー検査機、この機械はNC旋盤から加工された製品の内径、外形、高さを瞬時に測定し、OK・NGを判定し、シュートにて流し、箱詰めする機械でした。これもタクトに挑戦した一つでした。
またビール製造のラインでは、20本のビールが箱に入り流れてくる製品が欠品されているかいないかを確認するメカ装置。
農機具の自動溶接機は多間接ロボットを使い、手の間接と同じ動きをさせ溶接ホルダーを動かす、これは社員で楽しんだ一つでした。1年がかりで神奈川県秦野で完成させた熱焼炉へボルトの定量挿入、そして出たものを軽量し、箱詰めを行う装置は社員が寝る事も出来なかった苦い思い出のあるものです。
一台一台の機械が生む苦しさそして楽しさがあり、我娘を送り出す心境でした。
また其の中から空き缶潰機(商品名=カンサークル)を開発送り出しました。この機械は環境への貢献をしたものです。
遠心分離機も其のひとつです。
機械の製造の中では、まず発注者のニーズをどうつかむか、そしてそのニーズを図面に落とし、我々が社員とともに我子供を育てるごとく完成させる、言う事の聞かないもの、思い通りに動かないもの、時々ヤンチャをしてしまうもの、目を離すと何時の間にかさぼってしまうもの、又真剣に拘わると面倒かけず見事に完成するもの、手のかかった子は忘れられないものになります。機械は子供を育てる事と何ら変わりはありません。
私は、会社で15年を境に退職と、卒業に分けています。・・・・・・どういうことでしょう?
夢はどんどん膨らみ、士気が上がり会社も安定して来た中での突然の出来事でした。
来るべき事、なるべくして起きた現象、機械は時として人を非情なものにしてしまう
同様に、車も日を追う事に生産性は上がり、技術的にもメカとエレクトロニクスが合体し、そこにICが加わり、理想の車が完成し、生産性の向上と繋がり共にトヨタ自動車は、1兆5000億という利益を上げ、世界一へと成長しました。
私は、2年前のマネーゲーム(村上ファンド、ライブドア)が表面化したとき日本国に何かが起こる、何かおかしいと感じた事は私だけではなかったはずです、我々が其のとき気付かなければいけなかった事だったのだろうと思っています。そうです。出来すぎが車をはじめとするもの作りに少なくとも影響し、飽和状態になったのです。
今車は10年は十分乗れます。収入は減った今、たぶん買い控えするでしょう。車は十分もちます。そして、乗ることすら控えることも今の交通手段なら十分でしょう。今まで真剣に開発をし、作り続けてきた事は、良かったのでしょうか。物作りは永遠に不滅であると思っていた事は方向を変え、考える時期に来たのかも判りません。燃えるエネルギーをどこに・・・・そして人が人として生きる形に魂をもう一度よみがえらせたい。
次回は、物作りでの卒業、退職とは。を書きます。
最終回は、機械が生きる魂、人が生きる魂で締めくくります。
第6青経塾 江尻富吉
信濃工業株式会社 http://www.sinano-co.jp/












